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【代表 油田秀雄物語 01】生まれてから小学生になるまで


私の父は後方右から2人目
私は1961年7月25日に広島市西区南観音で生まれました。
3才年上に姉がいます。
当時の国鉄(現在JR)職員(運転手)をしていた父が、
まだ運転手の見習いだった頃、指導機関士で尊敬していた、
岡本秀雄さんの名前を私に付けてくれたそうです。
父方の家族は、横川で大衆食堂を営んでいたそうです。
母方の家族は、祖父が墓石屋をしていました。
ご先祖さまの墓やお宮の石の鳥居などを手掛けていました。
私は父母よりも、祖父母の商売の血が流れているのかもしれません。
私には父方のじいちゃん、ばあちゃんの記憶はありませんが、母方のじいちゃんばあちゃんっ子でした。
「豊栄のじいちゃんちに泊まりに行くーっ」と休みになれば行っていました。
母親も察したのでしょうか、小学校6年生になって、
賀茂郡八本松町(現在 東広島市八本松飯田)に引っ越しをしたのです。

姉と私(2歳前後)
当時私達の家族以外に居候が居ました。母の弟です。
当時自動車整備士として働いていた
叔父(わたしたちはおにいちゃんと呼んでいました)が
よく私に、正月に上げる凧や竹ひごで作る飛行機、
プラモデルなどを作ってくれていました。
その影響でしょうね!私も作ることの楽しさを知り、
ダンボールで冑や鎧・お城、プラモデルでジオラマ、バルサ材でグライダーなどいろいろ作りました。