油田秀雄物語

代表の油田が生まれてから、現在までの物語です。どんな学生時代を過ごし、夢木房を立ち上げ、
今後どんなリフォーム会社を目指すか?を赤裸々に(笑)ご紹介いたします。

生まれてから小学生になるまで

私の父は後方右から2人目
私の父は後方右から2人目

私は1961年7月25日に広島市西区南観音で生まれました。
3才年上に姉がいます。

当時の国鉄(現在JR)職員(運転手)をしていた父が、
まだ運転手の見習いだった頃、指導機関士で尊敬していた、
岡本秀雄さんの名前を私に付けてくれたそうです。

父方の家族は、横川で大衆食堂を営んでいたそうです。
母方の家族は、祖父が墓石屋をしていました。
ご先祖さまの墓やお宮の石の鳥居などを手掛けていました。
私は父母よりも、祖父母の商売の血が流れているのかもしれません。

私には父方のじいちゃん、ばあちゃんの記憶はありませんが、母方のじいちゃんばあちゃんっ子でした。

「豊栄のじいちゃんちに泊まりに行くーっ」と休みになれば行っていました。

母親も察したのでしょうか、小学校6年生になって、
賀茂郡八本松町(現在 東広島市八本松飯田)に引っ越しをしたのです。

姉と私(2歳前後)
姉と私(2歳前後)

当時私達の家族以外に居候が居ました。母の弟です。

当時自動車整備士として働いていた
叔父(わたしたちはおにいちゃんと呼んでいました)が
よく私に、正月に上げる凧や竹ひごで作る飛行機、
プラモデルなどを作ってくれていました。

その影響でしょうね!私も作ることの楽しさを知り、
ダンボールで冑や鎧・お城、プラモデルでジオラマ、バルサ材でグライダーなどいろいろ作りました。 

大学卒業〜地元の工務店への再就職、そして妻との出会い

大学時代、森安ゼミの同期と
大学時代、森安ゼミの同期と

広島工業大学工学部建築学科を卒業後、
大手橋梁製作会社に就職しますが、どうしても土木と建築では創るということは同じなのですが肌に合わず、1年後地元の工務店に再就職しました。

家を作る1つ1つの材料の納まり方、木の性格・癖など、基本から教わり部材の加工から、鉄筋鉄骨マンション・木造住宅・増改築リフォーム・店舗・公共事業の現場監督・設計・積算・経営管理など、朝8時から夜12時まで休みなく働き、楽しさと厳しさを経験しました。

それが祟ったのか、働きすぎて腰を痛めてしまい入院してしまいました。

実は、当時病院で看護してもらった看護師が、私の妻です。

結婚、そして会社倒産〜独立するまで

結婚当時の写真
結婚当時の写真

知り合って半年で結婚、1年後長男1人生まれ、
小学校2年のとき不景気のはじまりで、バブルも崩壊し会社の経営も厳しく倒産してしまいました。

そのとき既に私は38歳・・・再就職も難しい年齢でした。

再就職も考えていたのですが、小さいときからの自分の思い・・・
「いつかは自分でなにかをやってみたい。独立してみたい。」
という気持ちが強くなっていきました。

会社の経営が悪くなったことが、私の独立へのきっかけになりました。

その思いを妻に打ち明けたところ、
「やってみたらいいんじゃない。」
「何かあったら、私が働いて何とかするから。」

と、私の予想に反して、背中を押してくれたのです。

内心はとても怖かったと思います。それでも、背中を押してくれました。
本当に嬉しかったです。

OBのお客様の面倒を見て欲しいと前職の社長に言われたことも私の独立に拍車を掛けました。

そして、1999年ついに創業。(今年皆様に支えられ、10周年です!

借金を負い、会社倒産の危機〜私を救った妻の一言

創業当初は、OB客様からの仕事もあったのですが、
3年目ぐらいから会社を継続することがこんなに大変なことなのかを痛感しました。

そんなこともあって、
「待つ営業ではなくて、自分の会社にしかないアピールしていく何かが欲しい!」

そう思うようになった頃、ちょうど知り合いの工務店さんから
昔から自分の夢であった「すべて自然の丸太を使った家づくり工法」を教えてもらい、
「この工法で作った家を東広島で広めたい!」と私は無我夢中で飛びついたのでした。

しかし、これが悲劇の始まりだったのです・・・・

なんと、その工務店の社長は私が素材購入のために払っていたお金を
自分の会社の借金返済に充てていた
のです!!

それが発覚した頃には、その社長と連絡が取れなくなり、現場もストップしました。

「とにかく信用してくださったお客様に迷惑は絶対掛けられない!」と私が借金をして、
現場を進めるしかありませんでした。

その際に借金したお金は、数千万円

不本意ではありましたが、多額の借金の返済のため、昼間は自分の会社の営業をして、
深夜1時〜5時までパンの配送のアルバイトをするという2重生活
をしなくてはいけなくなりました。

バイト中に、ふと夜空の星を見ながら、「俺は、一体何をやっているんだろう?」と思うこともありました。

親友にも「会社はもう潰しまった方が楽やろう?」と言われたこともありました。

でも、そんな失意の中、妻が私にこう言ってくれたのです。

「会社を辞めるのは、いつでも辞めれるじゃない。」
「やれるだけやってみたらどう?」
「何かあったら、私が働いて何とかするから。」

また、妻の言葉に救われました。
自分なりに、ここまでやってきた以上続けていきたかったのです。

なんとか前向きになった私は、深夜のアルバイトは辞め、
本来の建築の仕事を精一杯頑張り続けることになりました。

私の目指すリフォームとは?

私の目指すリフォームとは?
当時、リフォームの悪徳業者がお年寄りが騙したり、
大きな会社にリフォーム頼むと関わる人が多くて、
お客様の要望が細部まで実現できてない・・・

ここ東広島でそういう話を良く聞くようになりました。

「私は一人だから、最初の打ち合わせから現場の管理・アフターサービスまで自分一人でやっている。だから、きっちりお客さんの要望を反映し、必ず喜んでもらえるリフォームができる!」

私の持ち味はこれだ!とリフォーム専業の会社に転向しました。

直接お客様のお話を聞き、
お客様の立場に立ってプランやコスト面を一緒になって考えています。


そして、多額のお金でリフォームするのですから、
お客様の生活の不満や不安が解消できないようなリフォームはしたくありません。

そんな思いで、精一杯頑張り、おかげさまで、昨年借金をすべて完済することができました。


これが妻が10年前に作ってくれた夢木房のトールペイントです!
これが妻が10年前に作ってくれた
夢木房のトールペイントです!
話が変わりますが、私の自宅には、ひまわりのトールペイントがあります。
これは私が独立した10年前に妻が作ってくれたものです。

「ひまわりが太陽に向かって花を咲かせ成長するように、夢木房、そして私も大きくなって欲しい」

という思いを込めて作ってくれたものです。

私はこれを見るたびに、節目節目で妻の支えがあったことを思いだし、
感謝の気持ちで一杯になります。

それと、私が妻に支えられたように、
「リフォームをしたいお客様の家族の一員のようになって、
相談にのり、サポートするぞ!」

って強く思うんです。
イベント情報
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夢木房代表 油田秀雄の東広島リフォーム奮闘記
夢木房の現場監督 川崎 隆太郎のリフォーム現場中継!
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夢木房について

リフォーム 東広島市 夢木房

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主なリフォーム施工エリア

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